「どこにも、出口が見つからない。もう死ぬしかないと思っているんで
すか? 人は一人では生きていけません。これまで、あなたが多くの
人に助けられてきたように、また、多くの人を助けてきたように、今
回のことも、自分一人でがんばろうとせずに、人に頼るのも一つの方
法ですよ」と、その精神科医は言いました。Aさんは、その言葉にほ
んの少しの希望の光を見た思いがしました。そして、うつ病について
聞かされた説明は、まさに自分のことだったのです。
55歳のAさんは、リストラで退職。職安巡りをしても、人の多さに
圧倒されてうなだれて帰る日々が続きました。唯一の収入源の失業保
険も打ち切りの日が近づいてきたある日、ふとみると近くのマンショ
ンに目がとまりました。Aさんは、よく分からない衝動に突き動かさ
れるようにフラフラと最上階まで上り、屋上から飛び降りようとしま
した。しかし、屋上に出る扉にはかぎがかかっていました。窓を割ろ
うとしましたが、窓ガラスは割れず、Aさんは“俺は何をやってもダ
メだ、死ぬことすらできない”と、肩を落として家に戻りました。
Aさんの様子がおかしいことに家族は気づいていました。奥さんが
再三病院に行くことをすすめても、“医者が仕事を見つけてくれるの
か!”と、とりつく島もありませんでした。そんなAさんを、奥さん
とお兄さんがなかば強引に精神科診療所に連れて行ったのは、その翌
日のことです。
うつ病と診断され、坑うつ薬や睡眠導入剤を服用し、悩みを医師に
相談するうちに、Aさんの気持ちは少しずつ変わってきました。
あれから3年、Aさんは、まだ仕事を探しています。しかし、うつ
病が治り、周りのことが見えるようになったAさんは、家族で力を合
わせて暮らしています
そして「あの時は追いつめられた感じで死ぬしかないと思っていま
した。今から思うと不思議です。仕事がないことは不安ですが、自分
のいのちや家族の不幸と引き換えにするほどの問題ではなかった。楽
しいことだってあります。うつ病になったことで、気づかされたこと
もたくさんありますよ」と、当時のことを振り返ります。